大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長崎地方裁判所 昭和59年(行ウ)7号 判決

原告

向井静枝

右訴訟代理人弁護士

福崎博孝

石井精二

小野正章

熊谷悟郎

被告

長崎労働者災害補償保険審査官

太田康雄

右訴訟代理人弁護士

川口春利

右指定代理人

篠崎和人

外七名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の主張

一  請求の趣旨

1  被告が、原告の昭和五八年五月一八日付審査請求について、昭和五九年一〇月五日付でした右審査請求を棄却するとの決定を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

(本案前)

1 原告の訴えを却下する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(本案)

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告の亡夫向井義充(以下、「亡義充」という。)は、訴外三菱石炭鉱業株式会社(以下、「訴外会社」という。)に雇用され、昭和五七年七月二七日、同社高島鉱業所内の坑道において業務に従事中、右業務遂行の方法等につき訴外上川節雄との間で口論となり、同人からツルハシで頸部を一回突き刺され、殺害された。

2  原告は、亡義充の死亡は事業主である訴外会社の支配下において、かつその業務中に生じた災害であるとして、長崎労働基準監督署長に対し労働者災害補償保険法(以下、「労災保険法」という。)に基づき、遺族補償年金及び葬祭料の支給を請求したが、同署長は、昭和五八年三月三一日、業務上の災害とは認められないとして不支給の決定をした。

3  原告は被告に対し、同年五月一八日、右不支給決定の取消しを求めて審査請求を申し立てたが、被告は、昭和五九年一〇月五日、右審査請求を棄却するとの決定をした。

4  行政庁は、その事実認定及び裁量判断につき、恣意、独断ないし他事考慮の介入を疑うことが客観的にいわれのないと認められるような手続により処分を行う義務があり、国民はかかる公正な手続によつて処分をうけるべき権利ないし法的利益の保障を享有する(東京地判昭和三八年一二月二五日行裁例集一四巻一二号二二五五頁、最判昭和四六年一〇月二八日民集二五巻七号一〇三七頁)。そして、本件審査手続は、裁量の範囲の広い他の一般行政処分とは異なり、行政処分に対する不服申立の当否を審理判断するいわば準司法的な要素の強い手続であるから、右の公正な手続保障の要請はより強く妥当する。

しかるに、被告のした右決定の審査手続は、以下に述べる理由により、極めて不公正であり、その不公正な手続上の違法は裁決固有の瑕疵として重大であるから、右決定は取消されるべきである。

(一) 労働者災害補償保険審査官(以下、「審査官」という。)は、労災保険法三五条一項の規定による審査請求事件を取り扱わせるため、各都道府県労働基準局に置かれ、労働大臣により任命される機関であり、労働省から職務上独立し、その良心と法律にのみ従つて、原処分庁たる労働基準監督署長のした労炎保険に関する処分の当否を審査するという職務を遂行すべき独任行政官である。したがつて、審査官がその職務の遂行上、労働基準監督署長と同様に労働省内部の労災保険法の解釈適用に関する通達・訓令に拘束されるとすれば、審査官の判断は単に事案の事実認定の当否のみに限定されることとなり、認定事実の法的評価については原処分庁たる労働基準監督署長の処分内容を追認するしかなく、その存在理由はほとんど無に帰する。

本件事案に関する審査手続は、本件訴訟において証人石田昌喜(長崎労働基準局労災補償課長補佐)が証言するとおり、審査官たる被告は事故の業務性に関する法律解釈について労働省通達に拘束されるという前提で運営されており、これは審査官制度の存在理由を没却するものであり、違法である。

(二) 昭和五九年八月二二日、長崎労働基準局において開催された本件事案に関する参与会には、長崎労働基準局労災補償課長、同課長補佐、地方労災補償監察官二名及び本件事案を担当しない労災補償保険審査官二名が部外者として出席した。

右の者らは、参与会において、労災保険制度の趣旨、解釈及び取扱い、先例の有無等につき、必要に応じて説明を行うために出席したものとされるが、これは審査官の決定を労働省の通達行政に従わせるためにほかならず、前述のとおり、審査官はその判断決定にあたり労働省の通達には拘束されるべきではないことからして、通達行政の監視者である右の者らの審査手続への関与は許されるべきではない。

右の者らの参与会の出席及び審査手続への関与を許した本件審査手続は、公正を欠き、違法である。

(三) 被告は、前記参与会における審議にあたり、原処分庁である長崎労働基準監督署長を代弁する立場にある労災補償課長、同課長補佐、地方労災補償監察官らの出席を許したのみで審査請求人である原告には右参与会の開催の通知さえしなかつた。

審査官による審査請求の審査方法については、審査官の裁量の余地があるとはいえ、あくまでも客観的公正を保持した適正手続の範囲を逸脱することは許されず、書面による審理方法を採用する場合には当事者双方に書面による主張の機会を与え、口頭による審理が必要と認める場合にはやはり双方に口頭による意見陳述の機会を付与すべきであり、一方当事者に口頭による意見陳述を許しながら他方にはその機会さえも与えないというような、一方当事者に偏した審理方法を採るべきではない。

したがつて、原処分庁の代弁者に参与会への出席を許し、原告にはその機会を与えなかつた被告の審査方法は原処分庁に偏した不公正なものであり、違法である。

(四) 労働保険審査官及び労働保険審査会法(以下、「労審法」という。)五条の規定により、労働大臣は、都道府県労働基準局ごとに、労働者及び事業主の各団体の推薦により労働者及び事業主を代表する者各二名を労働者災害保障保険審査参与(以下、単に「参与」という。)として指名する。参与に指名された者は、指名の日から二年(補欠の場合は残余の期間)を経過した後において、新たに参与が指名されたときはその地位を失う。審査官は、審査請求を受理したときは参与に通知しなければならず、この通知を受けた参与は審査官に対して事件につき意見を述べることができる。参与はまた、審理に関する審査官の処分(審査請求人・参考人の審問、文書その他物件の提出命令、鑑定、事業所への立ち入り、事業主及び従業員への質問、帳簿・書類等の検査、医師の診断など)を求める申立をすることができ、審査官はその申立を尊重しなければならない。

参与の法律上の地位と権限は以上のとおりであり、これと、右参与の制度が労審法制定(昭和三一年六月四日)以前の労働者、使用者及び公益代表者の三者構成の合議体による「労災補償保険審査会」(各都道府県労働基準局ごとに設置されていた。)の廃止に伴う代替措置として設けられたという立法の経過に鑑み、参与は単なる労使の利益代表として審査官に意見を具申するのみではなく、審査手続においてその審査官の公正かつ適切な職務の遂行を補助、監視する重要な機関というべきである。

本件審査手続には事業主団体から推薦された参与の一員として、訴外緒方信亮が関与し、同人は「亡義充の死亡には業務起因性はない。」旨の意見を述べている。

しかし、右緒方は、第1項記載の事故が発生した事業所である訴外会社高島鉱業所の副所長兼総務課長の地位にあり、訴外会社の利益を代表する立場にある者である。そして、労働保険の保険料の徴収等に関する法律における保険料はいわゆる「メリット制」を採用し、業務上の災害として保険金の支払がなされると保険料率が引き上げられ、事業主の負担が増大することがあることからして、訴外会社ひいてはその利益代表者たる訴外緒方は本件審査請求の結果について直接かつ重大な利害関係を有することとなる。

訴訟手続において対象事件及び当事者につき特殊な関係を有する者の手続関与を排除する除斥、忌避、回避の制度の趣旨は、行政手続においてもこれを否定する理由はなく、特に本件審査手続のように準司法的な判断手続においては、その公正を保持するために不可欠な要素というべきである。労働災害補償保険審査手続について定める法律には明文の規定を欠いてはいるが、これは不公正な構成員による審査手続を許容したものと解することはできない。

したがつて、上記のような利害関係者を参与として関与させた本件審査手続は、明らかに公正を欠いており、違法といわなければならない。

よつて、原告は被告のした本件審査請求に対する棄却決定の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  第1項の事実中、亡義充と訴外上川との口論が業務の遂行方法についてのものであることは否認し、その余は認める。

2  第2、3項はいずれも認める。

3  第4項(一)のうち、審査官の任命、職務権限についての指摘部分は認めるが、審査官が労働省通達に拘束されるべきではないとの主張は争う。また、原告のこの点の主張は、被告のなした本件審査手続のいかなる点にどのような違法が存するかの具体的事由の主張ではないから、それ自体失当である。

同(二)のうち、本件参与会に原告主張の者らが出席していたことは認めるが、その余の主張は争う。

同(三)のうち、参与会に出席したのは原処分庁のみであり、原告にはその開催通知がなされていることは認めるが、その余の主張は争う。

同(四)のうち、緒方信亮が訴外会社高島鉱業所副所長兼総務課長であり、事業団体の推薦参与であること、同参与が本件参与会において亡義充の死亡が業務に起因するものではないとの意見を述べたこと、労働保険料の徴収上「メリット制」がとられていることは認める。参与についての労審法の諸規定に関する部分を除くその余の主張は争う。

三  被告の主張

(本案前)

1 労災保険法三五条一項は、「保険給付に関する決定に不服のある者は、労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をし、その決定に不服のある者は、労働保険審査会に対して再審査請求をすることができる。」と規定し、いわゆる二段階の不服審査制度を設け、また、労審法四九条三項は、「審査会が審査官の決定を取消す場合であつて、事件についてなお審査官による審査をする必要があると認めるときは、審査会は事件を審査官に差し戻すことができる。」と規定している。

労災保険法及び労審法は、右の二段階の不服審査及び差し戻し制度によつて、審査官の瑕疵ある決定手続により適法な決定を受ける権利を侵害された者の救済を図つているものであるから、中間的な審査官の決定を対象として取消訴訟の提起を認めることは右制度の趣旨を没却することになり、許されない。

2 労災保険法三七条は、審査官の決定の取消の訴えは、「当該処分についての再審査請求に関する労働保険審査会の裁決を経た後でなければ、提起することができない。」として不服申立前置主義を採用しており、原告は右労働保険審査会の審査裁決を経ていないから、本件訴えは不適法である。

(本案)

1 審査官は参与の意見を聞くため、予め期日を指定して参与を招集し、通称参与会を開催する。

本件審査請求事件については、被告は、昭和五九年八月一〇日、長崎労働基準局長名をもつて、事業主代表参与緒方信亮、同金子達也、労働者代表参与宇野康行、同壇栄康に対し、本件審査請求事件につき同月二二日午後一時四五分から長崎労働基準局会議室において意見を聴取する旨通知し、これにしたがつて参与会が開かれ、被告審査官、参与四名の他、労災補償課長吉田輝夫、同課長補佐石田昌喜、地方労災補償監察官白石輝孝、同平川昭吾が出席し、審査官大塚定利、同森唯彦が同席した。

右労災補償課長らは、参与会において、事件に関する資料についての質疑に備えるほか、労災保険制度の趣旨、解釈、実例、先例の有無等についての説明にあたるためこれに列席したものであり、これは本件審査請求事件に限られたことではなく、全ての参与会に出席するならわしである。

実際にも、本件参与会において、本件事件についての各参与の意見陳述が終わつた後に、前記白石監察官が参考事案についての裁決例があることを指摘する発言をしたのみである。

また、本件参与会に本件事件を担当しない審査官二名が同席したのは、本件参与会では被告審査官の本件事件だけではなく、他の二名の審査官が担当する別の事件についても各参与から意見を聞くことになつており、通常、長崎労働基準局における参与会では一回に三ないし四件の事件について各参与の意見聴取が行われ、担当の審査官がそれぞれ異なるため、通例として審査官三名が当初より参与会に同席するという方法が採られてきたことによる。

したがつて、これらの者が参与会に同席したからといつて、本件審査手続に関与したことにはならず、被告審査官の判断に対して他事考慮による不当な影響を与えるものではなく、そのおそれもないから、本件審査手続が公正を欠き違法であるとはいえない。

2 本件参与会に労災補償課長等が出席した趣旨は前記のとおりであり、原処分庁の代弁者として出席したものではなく、また、本件事件について原処分庁の処分意見及びその正当性を主張し説明したこともないのであるから、本件審査手続が一方当事者のみに偏した不公正なものであるとの非難はあたらない。

3 参与は、その職務として労使それぞれの代表としての立場から全ての事件につき意見を述べなければならず、かつ、その任期は二年であり、任期中にこれに代わるべき者は置かれていないうえ、これについて除斥、忌避、回避の制度は採用されていない。よつて、当該事件がたまたまその参与の勤務する事業所において発生した事件だからといつて、これにつき意見の陳述が許されず、あるいはその意見を審査官が徴したからといつて手続が公正を欠くに至るということはできない。

また、労働災害補償保険の保険料率についてメリット制が採られているからといつて、本件事件の業務上外の認定が直ちに訴外会社の負担すべき保険料率を左右するとは限らない。

四  被告の本案前の主張に対する原告の反論

1  被告は、審査官の決定手続の瑕疵についても審査会に対して再審査請求が可能である旨主張するが、労審法三八条三項は、「再審査請求においては、原処分をした行政庁を相手方とする。」と規定し、審査官を相手方とする再審査請求を容認してはおらず、審査官の審査手続の瑕疵を争うことを予定してはいない。

また、労審法四九条三項は、審査官のした決定に法令の解釈の誤りがあり、これを是正したうえで更に事実審査の必要がある場合などに、事件の差し戻しをなしうる旨の規定であり、これは審査会に審査官の上級機関として法令解釈及び行政内部の意思統一を図らせるための規定であつて、審査手続における適正手続の保障を目的としたものではない。

行政事件訴訟においては、処分の取消しの訴えと裁決の取消しの訴えとを明確に区別し、裁決固有の瑕疵を理由とする裁決取消しの訴えの存在を肯定しており、行政不服審査制度が二段階の審査手続となつている本件の場合であつても、これが排除される理由はない。

2  労災保険法三七条は、処分の取消しの訴えはこれに対する審査裁決を経た後でなければ提起することができないとして不服申立前置主義を採つているが、これは文理上行政庁のした原処分の取消しの訴えについての規定であり、本件のような審査官のした審査裁決取消しの訴えについてはなにも規定していないというべきである。

また、仮に同規定により不服申立前置主義が適用されるとしても、原告は、昭和五九年一〇月二六日、労働保険審査会に対して再審査請求をしており、その決定がないまますでに三か月が経過しているから、行政事件訴訟法八条二項一号により、本件訴訟は適法となつたものであり、被告の主張は理由がない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一被告は、本件訴えは不適法として却下されるべきであると主張するので、まずこの点について判断する。

労災保険法三五条一項は「保険給付に関する決定に不服のある者は、労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をし、その決定に不服のある者は、労働保険審査会に対して再審査請求をすることができる。」として二段階の不服申立制度を採用し、同法三七条は、「第三十五条第一項に規定する処分の取消しの訴えは、当該処分についての再審査請求に対する労働保険審査会の裁決を経た後でなければ、提起することができない。」旨規定して処分の取消訴訟における二段階の裁決前置主義を採ることを宣言している。被告は、右二段階の不服審査と労働保険審査会による差し戻し制度によつて審査官の決定の瑕疵の是正措置が講じられているから、中間的な審査官の決定に対しては取消訴訟の提起は許されるべきではない旨主張する。しかしながら、行政事件訴訟法三条三項は「裁決の取消しの訴え」とは、審査請求、異議申立てその他の不服申立てに対する行政庁の裁決、決定その他の行為の取消しを求める訴訟をいうとしているところ、同法一〇条二項によれば、原処分取消しの訴訟とは別に、その処分についての審査請求を棄却した裁決取消しの訴訟が許される場合、裁決取消しの訴訟においては裁決中の実体的判断部分を違法事由として主張することは禁止され、裁決主体及び裁決手続に関する違法事由こそが裁決固有の瑕疵として主張することが許されるのであるから、裁決取消訴訟は裁決手続の適法性の確保を目的とし、ひいて公正な手続によつて処分を受けるべき私人の権利ないし法的利益の保護を図る制度のものということができる。そうすると二段階の不服審査が許される場合、中間的な審査裁決に対して裁決取消しの訴えが許されない旨の特段の規定がない限り、中間的な審査裁決手続の適法性の確保の趣旨に照らし、裁決取消しの訴えの提起を否定すべきではないと解する。労審法四九条三項には、被告主張のように「審査会が審査官の決定を取り消す場合であつて、事件についてなお審査官による審査をする必要があると認めるときは、審査会は、事件を審査官に差しもどすことができる。」と規定しており、なるほど審査会が事件を審査官に差し戻すことによつて審査官の決定手続の瑕疵を是正する方途が講じられているから、中間的な審査官の決定に対し裁決取消しの訴えを認める必要性があるかにつき疑問の余地がなくはないが、右差し戻し制度が認められていることで裁決取消しの訴えを許容して裁決手続の違法性を司法審査の対象とする必要性が消滅したとは考えられないから、前記のように解することの妨げとはならないというべきである。

被告は、また、審査官の決定に対する取消しの訴えが許されるとしても、労災保険法三七条の規定からして審査会の裁決を経た後でなければ訴えの提起は許されないと主張するが、同法三七条にいう「当該処分」とは労働基準監督署長のした保険給付に関する決定(いわゆる原処分)のみを指し、審査官の審査請求に対する決定を含まないことは行政事件訴訟法、行政不服審査法の用語例及びその文理に徴して明らかである。そして、仮に審査会の裁決を経た後でなければ中間的な審査官の決定に対して訴えの提起ができないとしても、行政事件訴訟法八条二項一号を類推適用し、審査会に対して再審査請求をした日から三か月を経過しても裁決がないときは中間的な裁決に当たる審査官の審査請求に対する決定に対して取消訴訟を提起できると解すべきである。そうすると、〈証拠〉によれば、原告は、昭和五九年一〇月二六日、審査会に対して再審査請求をなしており、その決定がないまますでに三か月以上経過していることは明らかであるから、原告は審査官の右決定に対し適法に取消訴訟を提起できることとなる。

よつて、被告の本案前の主張は理由がない。

二請求原因第1項(ただし、亡義充と訴外上川との口論が業務の遂行方法についてのものであることを除く。)、同第2、3項の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

三原告は、被告のした審査裁決の手続に請求原因第4項(一)ないし(四)記載のとおりの瑕疵があり、右瑕疵は裁決を違法とするだけの重大なものであると主張するので、以下これについて検討する。

1  (労働省通達等の審査官に対する拘束力について)

原告は、およそ審査官はその職務の遂行にあたり、法律と良心にのみ従うべきであつて、労働省内部の行政上の通達・訓令等には拘束されるべきではないのに、被告のした審査手続は労災保険法の解釈適用において労働基準監督署長と同様に右通達等に拘束されるという前提で運営されており、これは審査官の職務の独立を制度として認めた労災保険法及び労審法の趣旨を没却するものであり、違法であると主張する。

しかし、原告は、被告が本件審査手続を主催し決定を下すについて、具体的にどの点においてどのような通達等に拘束されたかを特定して主張するものではなく、他に審査をなすについての被告の姿勢ないし態度を抽象的に非難するにすぎず、手続固有の瑕疵の主張としては失当たるを免れない。

のみならず、前記の二段階の不服審査制度のもとで、審査官は、労災補償保険行政についての専門的立場から、独任制官庁として、原処分庁とは別個に独立して簡易迅速に証拠資料を収集し、かつ参与の意見を徴して事実の認定と評価をなしたうえ、法令を適用して審査請求事件につき決定をなすことにより、可及的速やかに行政処分を確定させ不安定な状態を解消することを職責としているのであり、労働省内部の行政組織の一部門として、法令及びその解釈適用に関し労働省の行政解釈を明らかにした通達に基づいて判断することは当然であるというべく、そのことの故をもつて、審査官が原処分庁とは別途に独自の立場で収集した証拠資料に基づいた事実の認定と評価が通達等に拘束されることにはならず、審査官の固有の判断権限は確保されているから、審査官が労働省内部の通達等に拘束されることで審査官による審査制度の趣旨が没却されるとは解し難い。原告の主張は採用することはできない。

2  (審査手続における労働基準局職員等の関与について)

昭和五九年八月二二日、長崎労働基準局において開催された参与会に、被告及び参与四名(労働者代表宇野康行、壇栄康、使用者代表緒方信亮、金子達也)のほか、同局労災補償課長吉田輝夫、同課長補佐石田昌喜、地方労災監察官二名(白石輝孝、平川昭吾)及び本件事案を担当しない審査官二名(大塚定利、森唯彦)が列席したことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

(1)  長崎労働基準局においては、従来から一回の参与会において数件の審査請求事件につき参与の意見を聴取するため、それぞれの事件を担当する審査官がすべて列席するならわしであり、また、労災補償課長ら労働基準局職員は、時折り参与から法令の解釈及び取扱い、先例の有無等について質問される場合があり、これに備えて出席することになつていた。

参与会の進行は、三人の審査官のうち先輩格の一人が進行役を務め、当該事案を担当する審査官が事案の概要を説明した後、各参与の意見を求め、最後に労働基準局職員らに対して、慣例上、「原処分庁の意見はないか。」あるいは「原処分庁の意見はいかがか。」という形で発言を求めたうえ、次の事案に移るという手順で行われてきた(本件訴訟が提起された後は、「原処分庁の意見はいかがか。」など労働基準局職員に対して発言を求めることはなされなくなつた。)。

(2)  昭和五九年八月二二日の本件参与会は大塚審査官の司会で開始され、四件の審査請求事件について参与の意見聴取が行われたが、本件事案については、まず被告が、原告の審査請求書及び意見書、原告からの事情聴取の結果調書、長崎労働基準監督署長の意見書並びに被告が職権で調査した資料等に基づいて説明した。

(3)  宇野参与は、判例、裁決例等を引用しつつ本件事案については業務上の事故と認定すべきであるとの意見を述べ、これに対して緒方参与は、これは私憤に基づく喧嘩であつて業務とは関係がない旨の反対意見を唱えたため、宇野参与は、緒方参与の右意見は、原告と訴外会社との間の使用者責任に基づく損害賠償に関する和解協定書ないし合意書(被告が収集した資料中に添付されていた。)において、訴外会社(緒方参与が、本件事案にかかる事故が発生した事業所である同社高島鉱業所の副所長兼総務課長の職にあることは当事者間に争いがない。)は原告に対する損害賠償義務を認めていることと矛盾すると指摘したところ、緒方参与は、後家さん相手に長々と喧嘩しても仕方がないから和解に応じたものであるという趣旨の発言をした。

(4)  この後、金子参与において、喧嘩にまで労災を認めていたのではきりがないとして業務外との意見を述べ、これに対して壇参与は、業務中に業務のことで喧嘩になつたのであるから業務上と認めるべきである旨の意見を述べた。

(5)  最後に大塚審査官が労働基準局職員らに対して意見はないかと尋ね、白石地方労災補償監察官が、宇野参与が引用した判例に関して、関連事案についての裁決例があるので参考までにお知らせしておきますとの発言をした。

原告は、右労災補償課長らの参与会への出席は、審査官の判断を労働省通達等に従わせるための監視、監督にほかならないとして、本件審査手続の違法を主張する。

ところで、労審法、同法施行令及び同法施行規則には、審査官がどのような方法、形式で参与の意見を徴するかにつきなんら規定していないから、審査官は参与の意見を尊重しなければならないという同法施行令八条の規定の趣旨に反しない限り、適宜の方法でこれをなしうるというべきである。しかして、長崎労働者災害補償保険審査官は、従来から慣行的に右認定のような方式で参与会を開いて参与の意見を徴していたのであるところ、参与会に出席した右職員らが専ら参与に対し労災保険制度に関する法令・通達等ないしは当該事案の処理上参考となるべき先例等を指摘説明してその知識を補充し、その意見具申の参考に供することは、参与の意見をして労使の単なる利益代表者の意見にとどまらせず、公益の立場からの意見の形成に寄与し、ひいては審査官が参与の的確な意見を徴しうる素地ともなりうるものであり、参与会における右職員らの出席が参与に対する参考資料の提供にとどまり、審査請求事件に対する監視、監督者としての立場からの意見の陳述にわたるようなことのない限り、審査官が参与から意見を徴するについての一つの実効的な方法と思料され、審査官制度の趣旨を没却するものではありえないというべきであり、原告の主張は失当たるを免れない。

また、本件事案を担当しない他の審査官が同席することは、前述のとおり、審査官が参与の意見を徴する形式、方法についての法令上の定めはないものの、独任行政官たる審査官の職種の独立の見地からして必ずしも適切とは言い難い点はあるが、前認定のとおり数件の事案についての参与の意見を効率的に聴取するうえでの便宜上のことであり、前掲各証拠によつても、右参与会においてこれらの審査官が被告に対して特段影響力のある意見を述べた事実は認められず、ただ同席しただけで被告の判断に影響を及ぼしたとは考えられないから、いわゆる他事考慮による裁決があつたと認定することができないのは明らかである。

3  (審査手続の不公平について)

労審法施行令一一条は、審査官は審査請求の審査にあたり請求人及び原処分庁の説明を求めるべき旨を規定している。前認定のとおり、昭和五九年八月二二日に行われた参与会に被告が提出した資料中には、原告の意見書及び原告からの事情聴取書、原処分庁である長崎労働基準監督署長の意見書が含まれており、被告が原告及び原処分庁の意見を聞き、その説明を求めたことは明らかである(ちなみに、労審法一三条の二は、審査官は、審査請求人の申立があつたときは、審査請求人に口頭で意見を述べる機会を与えなければならないとしている。)。

ところで、原告は、右参与会に原処分庁の代弁者だけを出席させてその意見を口頭で聞きながら、原告には開催の通知さえしなかつたのは公平を欠くと主張する。しかし、右参与会はそもそも審査官が参与の意見を聴取するために開催したものであつて、事件の当事者たる請求人原告や原処分庁による口頭論述の手続ではないから、これについて審査官が原告にその開催日時を通知せず、出席の催告をしなかつたのはなんら異とするにはあたらないのであり、また、前叙認定のとおり、原処分をした長崎労働基準監督署長ないし同署職員が参与会に出席した事実はない。右参与会に列席したのは、前記のとおり長崎労働基準局の職員であつて、参与の意見具申に供するため本件事案の処理上参考となるべき先例の指摘をしたにとどまり、事案についての意見にわたることはなかつたのであるから、長崎労働基準局の職員が原処分庁の意見を代弁したというにもあたらず、結局、原処分庁の意見が一方的に聴取されたという不公平があつたとは認められない。ただ、前認定のとおり、長崎労働基準局で行われる参与会においては、審査官が出席した前記労災補償課長らに「原処分庁の意見はいかがか。」という表現を用いてその意見を求める発問をしていたことが認められ、これは審査官を含め、長崎労働基準局及び同労働基準監督署の内部においては、両官署は実質的に同一組織体とみなされていたことを示すものということができ、前記労災補償課長ら基準局職員が実質的には原処分庁の代弁者であるという原告の受け取り方ももつともな点があり、原告が原処分庁の代弁者には口頭による意見陳述の機会を与えながら、請求人である原告の意見を同様に口頭で聴取する機会を与えなかつたことは、一方当事者に偏した審査方法であるというのもあながち理由がない訳ではない(なお、参与会において「原処分庁の意見はいかがか。」という発問の慣習が本件訴訟の提起後廃止されたことは、被告を含む審査官においても右措置が妥当でないと判断したためと推認される。)。

しかし、審査請求人及び原処分庁からの意見聴取を含めて、審査手続をどのように運営するかについては、法令で定めるところのほかは審査官の裁量に委ねられていると解され、審査官において、実質的に法令の規定をないがしろにするに等しいほどの不公平な手続をとるなど、その裁量の範囲を逸脱し、ないしは裁量権を濫用したと認められる場合は格別、審査請求人及び原処分庁から意見を聴取するについて、厳密に同じ方法をとらなかつたからといつて、直ちに当該審査手続を違法とすることはできないというべきである。

4  (利害関係を有する参与の関与について)

使用者団体の推薦参与緒方信亮が訴外会社高島鉱業所の副所長兼総務課長であること、本件参与会において同参与が亡義充の死亡は業務に起因するものではないとの意見を述べたこと(その具体的内容は前認定のとおりである。)、労働災害保険における保険料徴収上いわゆるメリット制が採られていることはいずれも当事者間に争いがない。

ところで、労災保険法ないし労審法上、参与が担当する審査請求事件につき一定の関係を有し、または事件の当事者と密接な身分関係に立つ場合に、当該事件についての意見具申の職務の遂行から除斥され、あるいは当事者から忌避され、あるいは自ら回避するという制度は設けられていない。

そして、参与は、もとより審査官と合議体を構成して審査裁決にあたるものではなく、単に審査官に対して意見を述べる機関にすぎないうえ、もともと労働者及び使用者の団体から推薦され、各推薦母体の利益を代表するとまではいえないにしても、それぞれの立場に基づいた意見を具申することによつて審査裁決を適正ならしめる役割を担つているのであり、決して公正中立な第三者的立場に立つた意見を述べる職責を負つているものではないことに鑑みると、労審法五条の使用者側代表の参与について言えば、当該参与の所属する企業で発生することのあるべき労災補償保険事故についても、参与として意見を述べることを前提にして、都道府県労働基準局ごとに、各二名の者が二年の任期で指名されているものと解され、参与について除斥等の制度がそのまま妥当するものではないというべきである。

したがつて、被告が本件審査請求について緒方参与の意見を求めたことをもつて、その手続が本件審査裁決を違法とするだけの瑕疵を帯びるとの原告の主張は採用できない。

四よつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官松島茂敏 裁判官池谷 泉 裁判官大須賀 滋)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例